机に向かってキーボードを叩く。かなりの時間を執筆にあてていて、そろそろ一息つきたくなった。窓の外をちらりと見る。いつもの静かなカゴシマ通りの街並みが見える。つい先月まではスランプで一文字も打てなかったが、今は嘘のようにスラスラと文章が湧いてくる。そう、嘘のように。それもこれもあの本のお陰だった。
十九で高校を出て、すぐに小説の新人賞に選ばれデビューすることができた。しかし栄光も長くは続かなかった。華々しく長編小説デビューはしたものの、そのあとが続かなかった。スランプ。またの名をネタ切れ。一気に書けなくなった。
しかし今はどんどん書ける。キーボードを叩く指を止めたくない。止まらない。あのネタ切れが嘘のようだ。スランプから抜け出すために環境を変えようと両親の故郷に行ったことがきっかけだった。
一年半ほど前、スランプから抜け出すために行ったのはオーサカだった。私の両親がオーサカ出身だった。両親の生まれた街で何かインプットをすれば、また創作に生かせるという考えもあったが、まずは全てを忘れて旅がしたいという気持ちであった。
オーサカでは、いろいろな場所を周った。ドートン堀の立体看板を見たり、オーサカ城でエレベーター付きの城郭に登ったりもした。食事も刺激的な体験だった。お好み焼きやタコ焼きはもちろん、オーサカ湾はいい漁場らしく寿司も美味かった。
さらには母親の故郷であるオーサカ南部のカイヅカという古代のゴミ捨て場の名を冠した街にも行った。その街の玄関口である駅前に、私の街の名前と同じ屋号の食堂があった。そこで食べたナポリタンも最高だった。
そのあと、そこから少し歩いたところにある本屋に何気なく入った。そこで衝撃的な出合いをしたのだ。
その本屋はとても小さかった。個人で経営している本屋らしかった。オーサカの繁華街にある大型書店とは大違いの小ぢんまりとした佇まいだ。駅前の本屋というものは、ネット通販に淘汰されてもう絶滅寸前と聞いていたが、ここはまだ頑張っているようだ。
私はその本屋の奥にある文庫の棚へと分け入った。そのとき、レジにいた店主からの視線を感じた。私は軽く会釈した。だがまだその店主はじっとこちらを見ている。私は固まってしまった。何か強い念のようなものを感じる。何かを伝えようとしているのか。その視線は私の身体を電流のように貫き、手を勝手に動かした。導かれるように、目の前にある棚の本を取り出す。表紙にシンプルなイラストの描かれた文庫本だった。手に取ったものの、まだ何も考えられない。視線に射すくめられながら、身体は勝手にレジに向かっていた。身体は勝手に会計をしていた。店主は小さな声で「ありがとうございました」と言った。私は逃げるようにホテルに戻った。
旅行を終えてカゴシマ通りの自分の部屋に帰ってきた。あの本屋での不思議な出来事以外は楽しく普通の旅程を終えた。しかしあの体験は何だったのだろう。私はそのときの文庫本を取り出してみた。何の変哲もない薄い文庫本。ぱらぱらとページを開いてみる。短い話がいくつも載っているようだ。一つの話が数ページしかない。しかし一つ一つの話にはアイデアが詰まっていた。アイデアの乱発。こんな短い話にアイデアを使い潰して、もったいない。しかしこれは「使える」と感じた!私の中で悪魔がささやいた。
私はその「アイデア」を参考にして話を書いてみることにした。
一つ目は、バーカウンターが舞台の話だ。バーカウンターに女性型ロボットを立たせた店の話。美人の女性型ロボットは話も上手で、言葉巧みに客に酒を注文させる。店は大繁盛となる。しかし美人すぎたロボットは、嫉妬も招き、それがラストで悲劇となる。
これを長編にして刊行した。大ヒットとなった。
二つ目は、町のはずれに大穴が発見される話だ。大穴に向かって「おーい何か出てこないか」みたいなことを言う。しかし穴の底の見当もつかないほど深い。そこでその大穴を有効活用しようという話が持ち上がる。いろいろな廃棄物の処分場にしようというのだ。いくら物を捨てても底も見えない大穴。しかしある日、その町の空から悲劇が始まる。
これも長編にして刊行した。やはり大ヒットとなった。
三つ目は、街中の空中に古生物の幻影が突然浮かび上がってくる話だ。早朝にはアメーバ状だったその古生物は、昼前には三葉虫類などに進化し、やがて午後には恐竜にまでなってしまうという大スペクタクルだ。だがその後、この現象の秘密が解き明かされると……。
これも長編にして刊行した。これも大ヒットとなった。
私は有頂天になった。今では大ヒット作家だ。あのオーサカで見つけた不思議な文庫本。あそこからネタを拝借したことは秘密だ。しかし誰もこんな話、気づかないであろう。きっとあの本は魔法のアイデア本なのだ。これからもこの調子で売れっ子作家としてやっていけると私は確信した。
ある日、編集者からメールがきた。
「夜にお会いできませんか?大事な話があります」
私はなぜか嫌な予感がした。蒼白になった。
しかし落ち着かねば。なんとかなる。落ち着け。よしランチでも作ろう。私はナポリタンを作り、たいらげた。なぜか背徳的な味がした。
カゴシマ通りからほど近くにあるカフェの中。編集者と差し向かいで座っている。
沈黙。嫌な空気が流れている。その沈黙を破ったのは編集者だった。
「もう分かっていますよね?」
「何のことでしょう?」
私はシラを切った。
「ルカさん!大変なことですよ?あなたの剽窃疑惑がタブロイド紙にすっぱ抜かれることになったのよ」
そんなバカな?!ここであの魔法の本このことを知っている人がいるのか?そんなはずはない!
しかし編集者は無情にも言った。
「ここイタリア・ナポリでも星新一くらい知っている人はいるわ」